〜ヨガインストラクターというポジションを捨てられるか〜

今回は、幸せは全精力を注いできた仕事や生活をどれだけ簡単に手放せるかにかかっているのかも、というお話☺︎

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自分のこれまでの、そしてこれからの生き方を考えた去年。
その時に、私の中で1番葛藤や苦しみを生んだ原因になったのが”ヨガインストラクターとしてやってきたこと”だと思いました。

全力で取り組んだ事が裏目に出た、という意味ではなく、私自身の『 私=ヨガインストラクター 』という思考がとても大きな執着の1つであったということ。

コロナで生活の支柱であったビーチヨガの仕事がなくなり、生活を土台から考え直さないといけない、と別の道を必死に模索していた去年。
たくさん新しいチャレンジをする中で心にあったのは
『 海の側という好きな場所に住みながら、ビーチヨガという好きな仕事で楽しく生活を送っている 』現状を手放したくないという想いでした。
今ここで手放してしまったら、もうその先幸せとは感じられないんじゃないかというような感覚。

そしてその自分の考える【 幸せ 】をキープする為、自分にとってのベストを模索しながら日々を過ごしていました。
しかし、、その想いでたくさんのチャレンジを繰り返した結果、最終的にはとても苦しく、辛くなってしまった自分がいました。

生きるのが嫌になってしまうほどの限界がきてようやく、自分の中で幸せの象徴であった『 ヨガインストラクター 』というものが自分を底まで沈めるほどの重りになってしまっていた事に気付きました。

【 ヨガをしているから、頭より心に従うべき 】
【 ヨガをしているから、楽しくて調和の取れたお金の稼ぎ方を考えたい 】
【 ヨガをしているから、精神面ではいつも人を助けられるように客観的でいなければいけない 】

自分なりに、なるべく客観的に見ながら、メンタルも振り切れないように細心の注意を払いながら気をつけていたつもりでも、気づかないところで私の理想は執着へ変わっていたと気付きました。

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【 〜であるべき 】が苦しみを生むこと
【 理想 】が流れに乗って来ない時に追いかけるともはや幸せは感じられないこと

これらに気付いてやっと、知らぬ間に大きくなっていた執着を優しく手放していく作業が始まりました。
自分の執着に気づけたら、あとは自分と会話し、人に相談し、自分の軸へ帰るだけ。

今では、私はヨガインストラクターじゃなくてもいいし、宮古からいつ出て行っても平気だし、いつでも0から再出発する覚悟ができている状態で力み過ぎることなく過ごしています。

4.5年かけて積み上げてきた執着が1つ取れ、苦しかった時期も含めてとても良い経験になりました、、☺︎

ヨガインストラクターだからこうあるべき、という考えよりも、まず1人の人間として自分は安心感を感じて幸せでいられているのか。
どこにいても、何をしていても、これからはここに焦点を当てながら暮らしていきたいなと感じました。

というわけで、、
私にとっての『 ヨガのインストラクター=〇〇 』というイメージのような、自分の中で1番理想!大切!と思っているものこそ、いかに大きくぶち壊していけるかが、人間としての安らぎ・そして人生の柔軟性と幸せに関わるんだなぁと実感したお話でした☺︎

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